映画『否定と肯定』

Audibleで『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を聴いていて、ネットサーフィンしていたら本の筆者のコラムを見つけ、そこに映画『否定と肯定』の話題が書いてあったので、みてみた。

 

アメリカの大学教授であるユダヤ人の主人公が、大学の講演の中でアーヴィングというホロコースト否定論者の歴史家について、「ホロコースト否定論者のなかでもっとも危険」(だったかな?)と言ってもめたところ、アーヴィングに名誉毀損で訴えられた話。

アーヴィングの狙いにより、被告がすべて罪でないことを立証する必要のあるイギリスの法廷で訴えられてイギリスの弁護団と主人公が、アーヴィング本人とイギリスの法廷でやりあう。

主人公は、当初ホロコースト生存者を法廷にたたせ証言させようとしたが、弁護団はそれに賛成しなかった。ホロコーストから何十年もたっていてドアの位置など細部まで覚えていない生存者にたいし、アーヴィングが尊厳を欠く質問を浴びせるからという理由で…。なるほど。

優秀な弁護団の、感情ではなく理路整然とした論説により、アーヴィングの一見それらしい論理がその場の思い付きの弁明により崩れていき最後には自分の主義主張に合わせ事実を歪曲させていることが明らかになる。

主人公が、最後の記者会見で「表現の自由があるので何を主張しても構わないが明白なウソはダメだし説明責任は放棄できない」といったのが印象的だった。

作中ホロコースト生存者が、証言したい!と主人公のところにくるが、その時腕に刻印された管理番号を見せてたのも印象に残った。

 

弁護人の熱い情熱は伝わってきたが、裁判自体の争点•論点がわかりにくかったので⭐3.3。

 

雰囲気としては、アメリカの話で他国で裁判•ナチスの悪行という意味では、アメリカに住むクリムトの子孫が、ナチスが奪取してそのままオーストリアの美術館にあったクリムトの絵を裁判で取り返す『黄金のアデーレ 名画の帰還』に似ているところがあった。内容は全然違うけどね。

そしてアーヴィングみたいな歴史家おじさんとか、よくいるよね…。

 

岩波ブックレットナチスは「良いこと」もしたのか?』とも重なるところではあるが、まず自分の主義主張があってそこからろくに調べもせずに、信頼できる文献も読まず歴史修正をしてしまい、自分が歴史修正していることを受け入れられない、みたいなことは往々にあるよね…。調べればいいんだけど、その手間はめんどくさい、でも主張したい。「正しいといわれていること」の逆張りをしたい。みたいな。自分の意見といえる程に何事も調べてから発言しようね、という話。ナチは遠くて近いところにいつでも存在する。自戒。